漢中は三国志でも特に蜀と関わりがある場所ですね。
三国志以外にも劉邦とも関わりが深い場所でもあります。
さて、劉備が漢中を奪い漢中王となったのもこの場所が所以となっています。
そのため三国志に関する史跡等がたくさんある地域です。
漢中を訪れた際に三国志好きな方に必ず訪れてほしい場所を今回はいくつかご紹介していこうと思います!
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明月峡古桟道
明月峡古桟道とは蜀の桟道の一部です。
蜀漢は山に囲まれていた場所だったので、このような桟道を作り物資を運んだりしていました。
三国志時代に作られた古桟道をみることができるのはとても貴重なことです。
北伐に行く時もこの道を使用したのでしょうか。
こちらは観光用に新たに作られた道なのですが、これよりもさらに険しい場所に古桟道はあります。
断崖絶壁の場所に穴を開けて木材などを差し込み作られた道のようです。
現在明月峡古桟道は老朽化のため歩くことはできませんが、補強された一部の場所は通行可能なようです。
かなり距離がある場所なので全て周りたい場合は時間に余裕を持って訪れるといいでしょう!
勉県武侯祠・武侯墓
勉県には武侯祠と武侯墓があります。この2つは川を挟んですぐの場所にあるので、どちらもアクセスしやすい場所に位置していますので一緒に紹介させていただきます。
武侯祠は諸葛亮孔明のお墓のことを指します。武侯祠は中国にはたくさんあります。
武侯祠の中で特に有名なのが成都にある武侯祠ですがこちらの武侯祠もとても有名な武侯祠の一つです。
勉県武侯祠は263年に建てられたとされています。孔明の死後29年ということです。
というのも蜀の人々は孔明を祀りたいと廟を建てることを望みましたが、当時の宗教観からそのことを朝廷が許さなかったようです。
元々成都に廟を建てる予定だったようですが、先帝劉備玄徳のお墓が既にあったため、劉禅は定軍山なら良いという詔を下したとされています。
天下第一とは恐れ多い名前が掲げられていますが、勉県武侯祠は中国全土で唯一皇帝が詔を出し、国が資金を出し建てられた武侯祠なので、
天下第一武侯祠と呼ばれているようです。
中国ではお馴染みの蝋人形です。諸葛亮の蝋人形がありました。
こちらが諸葛亮のお墓?です。石碑があり後ろには古墳のようなものが。
孔明は本当にここで眠っているのかは正直僕は知らないのですが、何かしら孔明に関連したものがあったのではないでしょうか。
定軍山
定軍山といえば定軍山の戦いですよね!
蜀漢がイケイケで三国志演義の話でも一番ここの年代がワクワクしたことを覚えています。
黄忠が夏侯淵を討ち取った話が有名なのではないでしょうか。定軍山の戦いに勝ったため劉備が漢中王を名乗れましたね。
漢中も支配することに成功します。さて定軍山一体どんなところなのでしょう。
上の道を登っていくと石碑がありました。定軍山の石碑があると思いきや「漢諸葛武侯井」と書かれた石碑がありました。
正直諸葛亮の何かを祀っているのでしょうがよくわかりませんでした。
督軍壇というものもありましたが、説明がなかったためこれが何なのかは不明でした。
定軍山の戦いの場所なのでもう少し何かあってもいいと思ったのですが、こんなもんなのですね。
帰り際に黄忠と夏侯淵の一騎討ちの銅像がありました。
五丈原古戦場・博物館
五丈原の戦いの場所。諸葛亮が亡くなった場所。
三国志ファンにとっては絶対に欠かせない観光スポット五丈原です。
五丈原からの眺めです。僕が訪れた時(2018年)は五丈原の周りは残念ながら工事中でした。
どうやら五丈原に観光地を作る予定だったとこどうとか。
しかしここに蜀軍が布陣して魏軍と対峙していたのでしょう。
五丈原の観光マップです。結構広いです。明の時代に孔明を祀るために五丈原に廟が建てられたようです。
そのためここはただの古戦場というよりは孔明を祀る場所、および古戦場ということでしょう。
廟の中にはもちろん孔明を祀る場所があり、お馴染みの蝋人形もありました。
また孔明だけではなく、蜀の武将の蝋人形もたくさんありました。
五条古戦場には博物館もありました。
こちらでは蜀軍と魏軍の配置や第一次〜第五次北伐の進路を記載したもの、
五丈原からの出土品(三国時代含む)の写真が展示されていました。
成都からこの五丈原を車やバスで移動しそしてこの北伐の進軍図を見るとなるほどなと思うことがたくさんありました。
正直この博物館はとても面白かったです。
三国志聖地巡礼,史跡巡り「漢中・陝西省編」まとめ
いかがでしたでしょうか。
漢中には上記以外にも、馬超のお墓や劉備が漢中王を宣言した場所など三国志に関する史跡等があります。
今回は必ず訪れてほしい場所を抜粋してみました。
ぜひ機会があれば訪れてみてください。
こちらもよろしければ合わせてお読みください。
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